を読んだ。
本書はマックス・プランクの伝記である。原書は1973年、ドイツのローヴォルト出版で出版された。プランクは古典物理学が完成した一方で、現代物理学がまだ生まれる前の1879年に21歳で博士号を取った。翌1880年にミュンヘンで私講師の許可を得た。私講師は名誉ある地位だったが、無給であった。プランクは5年間も無給の私講師として親のもとで暮らした。アシャフェンブルグの林間学校からのオファーがあったが、物理学者として孤立することを恐れて、見送った。1885年にキール大学の員外教授となり経済的な基盤を得て、結婚を待たせていたマリー・メルクと1887年に結婚した。
プランクは熱輻射の研究を1894年に始め、1889年にプランク定数の発見、1900年にはプランクの輻射の法則を発表した。これはプランクが量子論を創始したともいえる業績であった。ここまで50ページであり、あっという間である。残りの150ページは物理学者プランクの晩年についての記述といってよいだろう。このプランクの伝記は量子力学の発見に関わった多くの物理学者と全く異なっていて、異常なほどに晩年の記述が長い。輻射の法則の発表後、プランクはドイツの物理学の発展のために重職を務め、若い世代によって作られていった量子論と量子力学を良く勉強し、教育を行った。また、プライベートでは妻のマリーや娘や息子との死別があった。息子のエルヴィンはヒットラーに対する陰謀の関係者として処刑されている。プランクは第二次世界大戦中にアメリカに亡命するには年老いすぎていたために、ドイツに留まった。晩年についても読むに値する出来事が記されていると思う。