エミリオ・セグレ「エンリコ・フェルミ伝」みすず書房、1976年
を読んだ。
翻訳者は久保千鶴子氏と久保亮五氏であるが、翻訳は主に久保千鶴子氏の手によって行われたとあとがきに書かれている。久保千鶴子氏は物性物理や統計力学で著名な物理学者である久保亮五氏の妻である。久保亮五氏は本書で語られるフェルミ氏と同じ棟つづきの別の研究所で働いていたこともあるとのことで、コロキウムなどでフェルミ氏の議論ぶりに感嘆することはあれど、特に会話を交わす機会を求めなかったことを、あとがきで残念がっている。
本書はエミリオ・セグレ氏によるエンリコ・フェルミの伝記である。原書はEmilio Segre「ENRICO FERMI PHYSICIST」 The University of Chicago Press, 1970である。著者のセグレ氏はフェルミ氏の弟子であるが年の差はあまりなく、4歳ほど若いだけである。セグレ氏は反陽子の発見でノーベル物理学賞を受賞している実験物理学者としても知られている。また、本書を含め、物理と物理学者への愛があふれた一般書の著者としてもよく知られている。本書は多くの資料と自身の体験に基づいて書かれた、380ページもあるもの本格的なフェルミの伝記であるが、セグレの著作らしく読みやすい。
フェルミ氏は核反応でノーベル物理学賞を受賞しているが、フェルミ氏は理論物理学者としても実験物理学者としても一流であった最後の物理学者として知られ、最初の原子炉の開発も行い、マンハッタン計画でも主要な役割を果たした。フェルミ氏は53歳で病死したため、本書を読んでいると、晩年らしい記述もほとんどない状態で、あっという間に死んでしまうために、私には少しショックであった。セグレ氏によると死ぬ数年まえには、フェルミ氏が人生の残りの時間を有効活用するために、物理の興味を絞ったという記述があるが、超人的すぎる晩年のエピソードだと感じた。また、不十分な防備策のまま行われた核反応の実験的研究が病気の原因であることに晩年のフェルミ氏が気が付いていたと読める記述がある。
フェルミ氏は研究や講義では本質をとらえた具体的な記述を好み、理論のフォーマリズムにはほとんど興味を示さなかったようで、他の研究者によって抽象化されたフェルミ氏自身の理論にも関心がなかったようだ。そういうことを知ったうえで、フェルミ熱力学を読み直すと風情が増すと思う。また、フェルミ氏が若い時に大学教員の職を得るために苦労したというエピソードにもかなり紙面が割かれていて、昔は今よりもずっと職を得ることが大変なんだなとも思った。
マンハッタン計画についての箇所では、フェルミ氏の伝記というよりもセグレ氏やフェルミ氏らを含んだ物理学者の体験談という側面が強く出ている。このような本は後年の物理学者には書くことはできないだろう。
多くの人が、本書を通して、知らなかった多くのことを発見するだけでなく、フェルミ氏やセグレ氏に親しみを持つことができると私は思う。