キップ・S・ソーン「ブラックホールと時空の歪み―アインシュタインのとんでもない遺産」 白揚社、1997年を読んだ。
本書は後に重力波観測の研究でノーベル物理学受賞者となるキップ・ソーン氏が1994年に出版した「Black holes and time warps」を林一氏と塚原周信氏によって翻訳されたものである。2段組で550ページもある。訳者の林氏の専門は理論物理学・科学史、塚原氏の専門は物理学・情報教育とのことであるが、かなり丁寧に訳されていると思う。ソーンは一般相対論の教科書「電話帳」の著者の一人としても有名である。
本書には数式がない。しかし、実際に読んでみた感想から勝手に判断すると「一般相対論周辺分野を専門とする大学院生や研究者向けの専門書の副読本」といった感じである。15年かけて書かれたという本書のスタイルは論文に近い。大量の論文や電話帳や他の一般相対論の有名な教科書が引用されており、読者は引用文献に当たることもできる。
ほとんどの読者はプロローグの一般相対論を扱ったSF小説で心が折られるだろう。これがソーン氏がエグゼクティブ・プロデューサーを務めた映画『インターステラー』の初期のプロットに違いないことに気付けば、急に現れた奇妙なプロローグも乗り切られるかもしれない。
1章と2章はアインシュタインが主役の一般相対論の紹介である。これは珍しくない内容である。3章はシュバルツシルト解、4章は白色矮星の最大質量に関するエディントンとチャンドラセカールの軋轢、5章と6章は中性子星とその重力崩壊に関する物理学者たちについて、7章はカー・ブラックホールの理論研究(唯一性、摂動問題など)の黄金時代を過ごした物理学者について、8章はブラックホール天体のX線観測に関わる実験物理学者について、9章はブラックホール天体の電波観測に関わる天文学者について、10章は重力波検出装置の開発に取り組む天文学者と物理学者について、11章はソーンらの専門書「Black holes The membrane paradigm」の解説、12章はブラックホールの放射を議論した物理学者について、13章はブラックホールの内部の時空特異点を議論した物理学者について、14章はワームホールについて議論した物理学者について書かれている。
プロローグを運よく乗り越えても、物理系の学科を卒業していないとほとんど何も分からないと思う。学部で一般相対論の入門コースで半年ほど勉強しても、全体の半分くらいしか分からないと思う。本書の半分を占める難しい箇所は一般相対論の大学院レベルの教科書を読んでいないと全く分からないと思う。例えば、Chandrasekharの「The Mathematical Theory of Black Hole」などを読んだことがなければ、7章の摂動の話は分からないし、本書では電話帳は頻繁に参照されているので電話帳の内容くらいは知っていないとついていけないだろう。11章はソーンらの専門書「Black holes The membrane paradigm」、13章は特異点定理、14章はワームホールのことも理解していないと読めないので、相当ハードルが高いと思う。そういうわけで「一般相対論周辺分野を専門とする大学院生や研究者向けの専門書の副読本」だと感じた。